俺は一人でいることを好まない。いつも決まった誰かと一緒にいる。人と交わるのが煩わしくて、誰かの分だけ席を空ける。今までそうやってきたし、これからもそれは当分変わりそうにない。誰かがいるから外に出ようと思う。笑顔がみたくて笑わせてやろうと思う。一人だと家の中で寝転がってるに違いない

ふとした瞬間に自分の裡から中学生男子が考えそうなしようもない疑問が浮かんでくるのを掬い上げては、疑問が生まれた背景を飽きるまで想像する

記憶の端っこをドライブして、思い出せそうで思い出せないかつて所縁のあった場所を繰り返し脳内再生してると、覚えていると覚えていないの隙間から忘れていたことをうっかり引っ張り出せたりして面白い。自分勝手な脳内補完機能がガリガリ動いてるのを確認するのもまた楽しい

継ぎ接ぎの古い木造校舎の小学校で過ごしたからか、俺は渡り廊下がとても好きだ。渡り廊下に高低差があるならなお良い。たがが廊下に胸が踊る。そこにはロマンがある。寺の渡り廊下には静謐さが漂っていて心底うっとりする

浴びるように美味いものを食べたい。食欲だけは質にブレがない

日常と非日常を行ったり来たりして、歩みを止めないための胸の振り子を揺らす

リアル枯山水の横でミニチュア枯山水に興じる狂気

1日2食がカレーでも余裕でまだカレー食べたい

もう20年くらい前の大して売れなかった或る曲のフレーズだけ朧気に覚えていて、歌詞も分からないしそれが誰なのか何て曲だか思い出せずにいたけど、執念の老刑事のように時間があればその頃のシングルのリリース情報を丹念に追って、俺は今日やっとたどり着いた。点と点が繋がる気持ちよさ!

旅の道連れなら、互いに好きなことをしながら、どこかで互いを気にしてる相手がいい

図書館も生き物みたいだなァと感じる

美術館は生き物みたいだなァと思う

何も話さないのは何も考えてないってことじゃない。考えれば考えるほど、気持ちはいろんな方向に伸びて言葉にならなくなる。口にすれば、言いたいことから大体外れる。俺には伝える技術が足りない。だから、いつかのその時にちょうどいい言葉はないかと本を読む

子どもの頃は正義はひとつだと思っていたからね、人の数だけ正義があってそれが誰かの悪になるなんて思いもしなかった。騙し合い、奪い合いなんて楽しくも何ともない。じゃあ俺には何が出来るのか

子どもの頃は大人になることのハードルの高さにうわぁと思うことがしばしばあった。愛する人をいろんな災いから守れるのかとか、大人に課せられた諸々のルールを守れるのかとか、子どもの勝手な妄想なんだけど、俺にはムリだとよく考えた。歳はとったけど、思い描いた大人にはどうにも足りてない

例えば俳優逮捕で放送自粛と、同じ作品に出てる大御所俳優が逝去して追悼で放送するってタイミングが重なったら、どっちの事情が優先するんだろうね。この作品は逮捕前に製作されたされたものですなんて不粋なお断りテロップを出して放送するのかな

足下を照らす灯りみたいな本を手にする。ささやかな文字の灯りを翳して、俺は闇夜をやり過ごすのだ

ニュースを見てると堪らない気持ちになる。あの日、何を思ったか、俺は忘れていない。好きな人を大事にしようと思い返す日

雨音のカーテンなんて久しぶり

冬と春の境目はあまり調子がよくない。ノドがあまり強くない俺は、気温差ですぐにやられてしまう。冬毛が夏毛に変わる季節は本当に困る

Show more
mstdn.jp

Mastodon日本鯖です.