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じゃあセミの鳴き声とかはメッセージか、単なるシグナルか

低い声と高い声の印象が違うのは体の大きさについて声の高さから情報を得ていることに究極的には由来すると聞いたことがあるので、喉や発声方法についての情報を得ているからというのもありうる話じゃないかなあとはおもう。

例や比喩の目的、説得力を上げるための理由だけではなく「何が言いたいか」という言いたいことの内容を明確にする働きもありそう。

仮説と仮定って全然違うように思えるのに、なんで英語ではどっちもhypothesisなんだろう

変声期経てないという仮定だとそのようには感じないので、これは同じ音を説明するにも男と仮定するか女と仮定するかで異なる喉の形とか発生方法についての仮説を置く必要があるかによるものか。と思ったが、もっと単純な説明もありそう

声の音について、聞く時間が短いので男の声か女の声か分からないけど、どっちと考えるかによって声の知覚され方が違うときがある。(続く)

完全情報学科 (二人零和大学 有限確定学部)

悪いと言うだけのことを「暴力みたいなもの」という比喩にするのがあるように思うが、単に悪いということを言えばよい気がする。

「リンゴがある」という「想像」とか「仮定」からなら、「私はリンゴがあると思っている」という信念(であっても、想像・仮定であっても)は必然的には導かれないだろうが。

一貫性は美徳とはいえ、一貫性のある悪よりも不一貫な悪の方が良さそう。ただ、予測可能で対策しやすい点で前者のほうがいいこともあるのかな。

実際、「リンゴがある」という信念から「私はリンゴがあると思っている」という信念を導くのが妥当でないという状況を考えるのは難しい

「リンゴがある」という信念から「私はリンゴがあると思っている」という信念を導くのは「推論」なのか? そうなら、命題内容によって妥当になるわけではない推論ということになる。

ところが問題は、「リンゴがある」という命題内容からそういったことが導かれるわけではない、ということだ

目しか信念形成手段が無い生き物は「リンゴがある」という信念から、「自分の目にリンゴから反射した光があたった」「リンゴに光が当たっている」といったことを推論できるだろうし、情報理論的には「リンゴがある」という信念は確かにその情報を持っている

メンシウスモールドバグの由来は孟子っぽいけど、孟子は民の意思とかで革命肯定してるから、考えは逆な気がする

文系の中で科学っぽいのを社会科学と呼び、科学っぽくないのを人文学と呼ぶみたいな用法のような気もする

ayu_mushi boosted

心理学って社会科学なのか人文科学なのか結構微妙よね

臨床心理なんかは人文よりの内容を扱っている人もおり…

英語では人文科学といわずhumanitiesといってるので、自然科学と社会科学だけが科学と思われてる可能性?

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