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[いいね★は、いいの?]

小説投稿サイトでも漫画投稿サイトでも、投稿者たちは、いいね★を多く獲得しようと作品を投稿し続け、頑張る。……当たり前のことだ。

ここで、改めて思うのだが、
もし、いいね★というものが正しい評価ならば、それらの作品は正しい方向へ導かれていく。
しかし、いいね★というものが間違った評価なら、それらの作品も、トホホな方向へ導かれてしまうのではないか。

いいね★の評価は、正しいのか、それとも間違っているのか。
いったい、どちらなのだろう?

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続く/終わる
……書き直したい。
(読み返したら、???と意味不明)

[マストドンのいいね★は、いいね]

マストドンで書いていて、いいね★が1個でもあると、すごくうれしい。
0個と1個とでは全く違う。0個なら0%だけど、たった1個でもあれば0%ではない。限りなく0%に近いとしても、0%ではない。この違いは大きい。

twitterなら、インプレッションだのエンゲージメントを見れば、読まれているか否かの見当がつく。他のサイトならpv数が参考になる。

ところがマストドンは、pv数がわからない。だから、まるで誰にも読まれることなく書いているような、孤独な気分になる。
そこへ1個でも、いいね★があると、「読まれることもあるんだなあ」と、少し感動する。終

[追記]
・マストドンは、いいね★の数は関係ないので、気が楽でマイペースでやれる。
・Twitterのインプレッションやエンゲージメントは、10年前には無かった。だから、いいね★が判断材料で、いいね★がつくまで過激さがエスカレートしていった。(ファボと呼んでいたらしいが、忘れた)
・私は、小説投稿サイトと漫画投稿サイトで、1個もいいね★がつかない。ずーっと原因を考えているが、判らない。(…まるで入試みたい)

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[いいね★で、ランキング]
いいね★は、いい加減な評価だといえる。確かな根拠を欠いた曖昧な投票。
そういう曖昧なものをランキングに反映させるのは、とても困る。

いいね★が多いとランキングの上位に表示されて、より多くの人の目にとまり、ますます読者数が増える。

しかし、いいね★が少ないとランキングの下の方に表示され、埋もれてしまい誰も読みに来ない。

なので、いいね★獲得のために、参加者は必死になる。

じゃあ、どうすれば獲得できるのか。いいね★がつくのか?

あっと驚く出来、すごくインパクトがある途方もないもの。そういう規格外というか、群を抜いたものだと、いいね★がつきやすい。

素人たちがドングリの背比べをしているところへ、プロの業者がドカドカ入ってきて、圧倒的な実力差・物量の差を見せつけると、いいね★がつく。終

[補足]
素人たちがドングリの背比べをしているときは、すべての参加者が、書き手であり読み手であった。両方を兼ねていた。
そこへ業者が入り込むと、読み手専門でいいね★を与えるか、書き手として張り合うかに分かれる。でも張り合ったところで勝ち目はないから、その場から去っていく

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「矛盾したっていい」「生きていれば、どうしたって矛盾するものなんだよ」と思いたい。
だって、人間は矛盾した生き物だし、その人間が大勢集まる社会も当然のことながら矛盾に満ちている。そういう矛盾だらけの中で生きていれば、どうしたって自分自身も矛盾に染まっていく。大人になるって、矛盾することなのでしょう。

矛盾しない生き方ができるのは、子供のうちか、ごく一部の金持ちに限られる。ひょっとすると専業主婦も含まれるかもしれません。

矛盾だらけの社会で働いて、疲れて帰ってきたパパさんは、理路整然として矛盾とは無縁な家族ルールに馴染めず、妻や子供にも理解してもらえずに、矛盾していると非難までされるかもしれない。そういう家族を説得するなんて面倒臭くて、あとは酒を飲んで寝るだけ。酒で酔って考えないようにする。あるいは煙草を吸って人生を縮め、ギャンブルという更に矛盾した世界に身を投じるのかもしれません。

酒・煙草、ギャンブルなどで自分自身を誤魔化して、騙しだましでも続けているうちはいいのですが、そういう誤魔化しも通用しないくらいに矛盾を感じると、器である人間の方が破綻して、自殺を選んでしまうのです。終

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[字数]
毎回500字で書く義務もないけれど、まあ、年齢も年齢なので(50代後半)、認知症防止にと頑張るのだよ。ふふん

[議論での矛盾]

私達は「矛盾しちゃいけない」と、心の中で矛盾を恐れている。
まあ、「矛盾したって構わないんだよ、君達。ガハハハ」と寛大な考えの大人は皆無だし、いても「頭、大丈夫?」と感じる危なっかしい人だったりするので、相変わらず私達は矛盾を恐れている。

特に議論での矛盾は、負けを意味します。
最近のtwitterでは、議論が減りましたが、かつては多かった。

……さて、何かを行えば、かならず相反するものが発生する。
→急ぐ
←危ない

器の概念があって、全体の容量が100までOKだとすると、
50 急ぐ→←危ない 50
それぞれ50までは大丈夫だなと計算できる。

ところが全体が決まってないと、
02 急ぐ→←危ない 02
少しでもアウト。
本来なら余裕で我慢できることなのに、「矛盾してる」と悩んでしまう。

建設的な議論は、矛盾点・問題点が見つかってからが本番。そこからがスタートであって、相手の矛盾を指摘したから勝ったでは、議論とはいえない(そう私は思う)。

全体が100しかないのに、
60 急ぐ→←危ない 60
と、20オーバーした。
その20をどうするかが本当の議論。終

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私は「矛盾とは、2つの物事が1つの器に入らなくて困ることだ」と言いました。

なぜ2つなのか?というと、物事には両面があるので、2つの場合が多い。
たとえば製品を作ったり輸送する時には、速いか遅いかのスピードが問題になりますが、速ければいいというものではない。

速いと製品を多く作れるし届けるのも早くできる。しかし、不良品が混じったり交通事故を起こしたりする。
遅いと、丁寧に作れて安全に輸送できるけれど、時間がかかる。

このように長所と短所の両方がある。ですが実際には、都合のいい所だけを求めてくる。

・速く作れ! でも不良品を出すな
・早く届けろ! でも事故するな
というような要求です。

これらは相反する事柄を要求しているので、実現するのは不可能かというと、ある程度までは工夫して何とかなる。
比較的に安全なところでは速くして、ややこしい工程とか危険な道路ではスピードを落として慎重に行う。つまり使い分けの工夫をする。

他にも工夫の余地はあるのでしょう。しかし、元々が相反する事柄の要求なので、工夫して対応するにも限度がある。

そして、どう工夫しても駄目だと、矛盾を感じてしまう。終

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【回答】2つのモノ(事柄)が、1つの器(世界)に入らなくなって、困ること。
これについて、武器商人の矛と盾を例にして考えてみます。

矛が、そこそこの攻撃力で、盾の耐久性も、そこそこならば、矛も盾も1つの器(世界)に入ります。両者は1つの世界で何の問題もなく共存できるのです。

ところが、矛の攻撃力が向上していくと、盾の居心地(いごこち)が悪くなる。そして、ついに「どんな盾でも貫ける」までになると、穴があかない頑丈な盾は、その(論理の)世界に居られなくなり、弾き出されてしまう。
もし盾の耐久性が向上していき、「どんな矛でも貫けない」までになると、「どんな盾でも貫ける」と豪語する矛には居場所がなくなり、その(論理の)世界から弾き出される。
つまり、矛が絶対的に君臨する世界と、盾が絶対的に君臨する世界の、2つの世界が必要になり、その2つの世界は、論理という平和交渉によって1つの統一世界にまとまるのは不可能なわけです。

(論理的に)困ったことです。

でも世の中には、たいして論理を重視しない人もいて、武器として使えれば充分だと思っている。

そして、「いくらだ?」と値段を聞いて買っていく。

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【問い】矛盾とは、どういうことか?
【回答】2つのモノ(事柄)が、1つの器(世界)に入らなくて、困ってしまうこと。
と、とりあえず自分の考えを、先に述べておきます。

矛盾については、いろいろな説明がされているようですが、なぜか私にはピンと来ない。その原因は、器の考え方がされていないからだと、私なんかは思うのですが、他の人たちはどうなんでしょうか。

でもまあ、普段は矛盾とはどういうことか?なんて考えることはなくて、
「矛盾は矛盾なんだよ」とか、
「辻褄が合わないこと」
で済ませています。
私達にとって矛盾は、随分と浸透し、もう解りきった言葉のようになっているのです。

ところが、議論などで他人から「矛盾しているよ」と指摘されると、私達は、ひどく慌(あわ)て困ってしまう。
そして改めて矛盾について考えてみるのですが、ちっとも解らない。辞書で調べても、ネットで検索しても納得できないし、ネットには様々な説明がされているので、ますます混乱してしまう。

それにしても、他人から矛盾を指摘されると、なぜ私達はオロオロしてしまうのか。
議論なら負けを意味し、事件なら犯人を意味するからなのでしょう。

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[矛盾(むじゅん)について]

「ほこ×たて」というTV番組がありました。番組名が示すように、最強のものを対決させて、本当はどちらが強いか白黒をつける内容です。

まあ、バラエティー番組なので、本来の矛盾(むじゅん)からは逸脱し、最強のもの同士の対決のみが強調されたわけなんですが、

じゃあ、本来の矛盾というのは、どういう意味かというと、「論理の辻褄(つじつま)が合わないこと」だという。
じゃあ辻褄って何かというと、和服の縫い目が十字に合わさる所が「辻」で、裾(すそ)の左右が重なる所が「褄」だという。

???

武器が対決したり、和服の名称が登場するのだけど、矛盾の意味は、さっぱり解らない。

なので、もう一度、本来の語源に戻ると、

楚(そ)の国に武器商人がいて、矛を「どんな盾でも貫ける」と説明し、盾のことは「どんな矛でも防げる」と説明した。
すると、それを聞いていたうちの一人が「その矛で、その盾を突いたらどうなるか?」と訊(たず)ねた。しかし、商人は答えられず黙り込んでしまった。

というわけで、「論理の辻褄が合わない」ということなんですが、

じゃあ、辻褄って何かというと……。

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[文字数制限]
私はブログが苦手です。どうしてなのか解らなかったのですが、ひょっとしたら文字数が原因なのかもしれません。

ブログには、文字数の制限なんて無い。なので好きなように書けばいい。でも、そういう自由なのが、やがて、じわじわと負担になっていく。

書きたい内容と器(文字数)が、毎回、ピッタリと一致するというのは、はたして良いことなのか?

たとえばカード集めでいうと、全部が1000種類のカードで、すべて1000種類を揃(そろ)えると、コンプリート、めでたいのですが、もうすることがない。身動きがとれない。

1000種類のカード1000枚で、表現できる組み合わせは、1種類しかない。

1000種類を持っていて、999枚を使うのなら、1000通りの組み合わせがある。998枚なら、もっと多くの膨大な組み合わせ方になる。

字数制限があるから、書きたいものを選んだり、削ったりする。そういう書き方には、実際に書いたもの以外にも、もっと別の可能性・組み合わせ方が存在する。

表現というものは、100%自分の思っているようには書けないところから出発して、あれこれ工夫するから生まれるでしょう。

漫画は、
この段階でストップしている。
(見事なくらいに、ただいま停滞中)

[続く世界5]
文字数

まだ私はマストドンを始めたばかりなのに、「どうせ、また駄目だろう」と決めつけている。

なんというか、自分自身に対しても、書く営みに対しても、成功体験が全く無い。長い長いトンネルの中を進んでいるような感じです。

なぜ駄目なのか、何をどうすればいいのかも見当がつかない。だから、こんなふうな結論まで出すようになりました。つまり、

・ネットでは、誰がやっても、ちゃんとした物にはならない
・無限に書き続けるのは、要するに「ゼロ」と同じ
……だと。

「そんなに悲観的な考えなら、マストドンなんて、やらなくてもいいじゃないか!」
となるのですが、なぜやるのか?
……う~ん、どうしてなんでしょうねぇ。

今のところ「500字まで」という字数制限に、何となく惹(ひ)かれるから。
twitterは140字までとはいえ、4連続で投稿すれば560字になるし、今はスレッドで結(むす)ぶという便利な機能まである。だからtwitterで一向に構わないし、マストドン拘(こだわ)ることもない。なのに、なぜ500字なのか?

字数が自由なブログなどを読むと、ダラ~ッとした感じがするから。終

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[続く世界4]
自転車に乗れるようになるための練習は、実際に自転車に乗れるようになったら終わる。
当たり前といえば当たり前なんですが、漫画家の中には、登場人物が乗れるようになると困る人もいる。「ドラえもん」の主人公のび太は、どうやっても自転車に乗れないし泳げない。
なんか変な世界だなとは思いますが、そういうものなんだと納得するしかない。

ちゃんとした読み物を「終わって完結するものだ」と定義するならば、延々と続くブログやtwitterでは、ちゃんとした読み物にはならない。なるはずがない。
もしもブログやtwitterで出来上がったなら、ブログやtwitterも終えなければならい。

しかしながら、終わりなく延々と続く猫ブログが、ちゃんとした漫画単行本になり、アニメ化までされるのだから、何が正しいのか私には解らない。

文章や絵や漫画は、自転車に比べて、出来る・出来ないがハッキリしない。終わりというのも判断の基準になりそうもない。

プロの作家・漫画家は売り上げ実績で、有名人は人気・知名度などで、何となく正しさの裏付けが確保できますが、そうでない無名人は何を基準にすればいいのかで悩む。終

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[続く世界3]
出来る・出来ない

自転車は、乗れるか乗れないかがハッキリする乗り物です。しかも、どうすれば乗れるようになるのか解らない。合格への道筋がマニュアル化されていない。
じゃあ、滅茶苦茶に難しいか?というと、それほどでもない。乗れる人はざらにいて、むしろ乗れない人を見つけるのが難しいくらいです。難易度としては、そんなに高くない。

しかしですね、乗れない子供にとっては、どうすれば乗れるようになるのか謎なんです。全く見当がつかない。ただただ途方に暮れる。誰に訊(たず)ねても、「慣れだよ」という同じアドバイスが返ってくるだけです。

乗れるようになるための唯一の方法は、「乗れない」のを延々とやり続けるしかない。……とても変な世界というか、理不尽な道のりです。

出来るようになるためには、「こうすれば出来るようになる」という小さなプラス要素を、少しずつ積み上げていき、ある分量に達すると合格になるものではないか。今までは、それでやってきたのに……と、子供といえども、そのくらいのことは感じた。

自転車と比べて、文章や絵や漫画はどうかというと、出来る・出来ないが微妙な世界なんですね。終

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[続く世界2]
twitterは、終わりなく続いていくので、ちゃんとした読み物にはならない。そう断言してもいいし、おそらく誰も反論しないでしょう。
なのでマストドンについても、あんまり夢を抱かないようにして始めました。へへへ

twitterが140字しか書けないのに対し、マストドンは500字も入るのですが、どうなんでしょう。運命的には、どちらも不運な結末が待っている気がします。140字も500字も、たいして違わない。

ただし500字は、参加者の心理的なハードルが高いなあと感じます。140字なら気軽に書けても、500字となると躊躇(ためら)ってしまう。
なので、一言二言で1回分の投稿を済ませてしまうのも、戦略として有りだと思います。どうせ500字を埋めたって、グチャグチャになるし、周囲の人たちから「なげーよ(長いよ)」と嫌われるのだから、短く済ませるのは賢い選択です。

私も短くしていい。ただ、もしも文筆業の立場なら、埋めないわけにはいかない。いつか電子書籍の1冊でも出してみたいと思っているので、埋める主義でやる。

文字を埋めてるか埋めてないかでは、140字って目立たなくていい。終

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[終わりなく続く世界]
続く世界では、ちゃんと整理しようがない。どうしようもないと諦めかけていますよ(笑)。

マストドンも、twitterと同様に終わりなく延々と続く世界なので、やっているうちに「ああ、どこに何を書いたのか?」と、過去ログは整理されることなく忘却の彼方へと流れ去ってしまうのでしょう。

ところで、
全体像が決まるから、「いいね★」を決められる(と、書きました)。

同様に見出しも、
全体像が決まるから、最適な見出しが確定する。なので私たちは、それまでは通し番号とか日付を、一時的に見出しの代わりにします。

文字による見出しが決まらないのなら、絵による見出し絵だって決まらないのですが、なんだか嫌~な気分になるので、あんまり突き詰めたくない。しかし、続く世界では簡略化などできず、見たまんまの写真のような絵になるのです。
(文字による見たまんまは、要約文)

どうにもこうにも、ちゃんと書きようがない。だから「こんにちは」と挨拶程度の1行で済ませてしまうのは、ある意味、正しいと思いますが、

それでも書こうとするのは、乗れない自転車に乗ろうと、転び続けるのとどこか似ている。終

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