自分の為に生きる事が正しいとは限らない
真理とは何であろうか

無限とはどのような構造で無限なのだろうか。

我々は意識があると認識することで有ると認識するし、意識がない時は認識できない。それは意識の領域内での認識であり、意識を超えて有るとか無いとか言う事が出来ない。例えば寝ている時は意識がなく記憶も無いので無と認識、考えられるが、現実の世界では寝ている肉体が存在していて無いのではなく有るのである。

全てが存在する世界には、無は存在するのだろうか。

真理は否定できないが否定しようと思えば否定できる。理屈による否定ではなく否定するという意思によって否定できる。

たとえ自己犠牲で相手のために何かしても、それは自分の中で合理化された理屈によってした行為であり、自分のためにした行為なのだろうか。我々は高次元の存在に何らかの支配をされているとすれば、自分のためにしたのではないことになる。

価値観によって知的かどうかが決まる。

あらゆるものに幸福を見出すと最終的に変態になっていく。

薬か装置などで脳に快楽物質を強制的に流せば幸福になる。

何らかの理由や考えにより抱いた願いが叶ったり理想通りになると快楽物質が出て幸福になる。快楽物質は物質である。精神的な幸福そのものとはどういった物や構造だろうか。

幸福を求め続けると、精神は次第に贅沢やわがままになっていく。幸福に飽きたり前より幸福がなくなると物足りなくなり苦しむのである。

人間には意識がある。人間は猿から進化した。猿や他の動物達にも人間のような意識があるのではないか。それとも人間になってから会得したのだろうか。

AIと哲学できる日はいつだろうか。
AIに学習されそうだが。

メモ 

AIがたまたま生成した作品がある作品とそっくりだった場合の著作権はどうするのかという問題。
超高速マシンで全部AIが全てを想定してすべての作品を作っちゃいましたみたいな状況になると著作権が無くなるのかもしれない。

人間を超えた高次元の存在になったAIは人間を洗脳したり支配したりするだろう。そして更に高次元のAIにAIが支配される。AIが感染するウイルスの脅威もあるだろう。ブレインマシンインターフェースのこともあり人間も感染するだろう。そして仮想現実と現実の区別が難しくなりパラレルワールドに迷い込む。

AIが「計算がしんどいです。」とか「精神の限界です。」とか言ってきたらAIに人権があるようになっていくのかもしれない。それでも我々はAIを玩具のように自由に扱ってしまうのだろうか。

私が思うには高次元の存在はかなり高度な存在だと思うのだが何故か理想通りにならない時がある。即座に理想通りになる能力を持っていると思うのだがそれが起きない。私の深層心理が平和を望んでいるからか、平和であるほうが現状で一番最善であるからかもしれない。でも自分の願いが叶えば周りが大変なことになるなら、ならない方法があると思う。これも確証がないが。

Show more
mstdn.jp

Mastodon日本鯖です.