アンニュイとは、一時的に意味を拒否している状態。あるいはその、逆。

新宿駅15番ホームでGhost Phishing。乱像と鏡像が織り成す狂区。

日付の無い月日に空薬莢の転ぶ音。君の喪失は銃で撃ち抜かれたのさ。

リスボンに移住するのはどうだろう?あそこは気候も良いし、きっと君は蜥蜴のように元気を取り戻すぜ。

音がとてもよく聴こえる。例えば、それが幾何学的に聴こえる。鍋で炊いた米粒みたいに、音符が立ち上がってくる。

ギャラリー。その孤独な男は血の付いた針で漆黒の夜を縫い綴る。苦悩と創造を繋ぎ止めようとするかのように。

眼下にターミナル然とした駅、そして平行という関係性に縛られたホームと線路。しかし全く人がいない、いや、人がいないとその関係性ばかりが美しい。

誰もいない午後、減衰していくギターの音を聴いている。聴こえる、聴こえない。揺れる倍音の波間に、雨が降り続ける。

砂時計を見つめている。くびれたところを現在だと仮定すれば、時計を止めることができるような気がする。

この世界は砂時計とオイル時計の絶妙な比重の異なりをカウントしているに過ぎない。やがて破綻するロジック、混濁のハーモニー。

うなだれた街角から鈍色の空。ひどく底冷えする午後のコンクリート。コーヒー片手にふと、自転の速度を感じている。

虚しくはない。だが、結果的には虚しい。中野通りを過ぎれば否応なく環七が待っている、という感覚。

道端に咲く青色、赤紫色の紫陽花にはっとする。その非日常な色合いがどこか刹那的でうら悲しい、宇宙の生滅サイクルを掻き乱すようで。

風光り符号となって空に舞う。乱暴でロマンティックな、じめっとした夜の雨。

1991年冬、北京発モスクワ行の国際列車で実際に体験したこと。

北京を出発してからちょうど48時間、モンゴル国境を越えたイルクーツク駅で僕は腕時計をソビエト公式時間に合わせながら、文字盤で針が指し示していた10時45分ではなく08時45分に国境を越えた由ノートに書き記す。そしてノボシビルスク駅には翌々日の05時30分(標準時間帯に合わせて遅らせた僕の腕時計によれば)に到着した。しかし国境を、そして州を越える度に料理人が入れ替わる食堂車の時計は03時30分を指し示し、更にその時同席していたロシア人は「今の時刻は02時30分」だと言う。僕はもう何が何だかわからなくなって気が狂いそうになる。

結局、モスクワには12時間遅れで到着したのだが、過去と現在が同時に存在するという不思議なこの国の時間は、まるで演じ手のいない紙芝居のように自身の流れをあっさりと堰き止めてしまうのだった。

電球色の都市に緩やかな雨。じょうろで植物に水をかける子供の如く。やがて生まれる宇宙の宇の字と宙の字ほどの隔たりに、静かに音を立てる時の水たまり。

もの言わぬ言葉が遠くから、響きの消える方へと向かっている。夏の倦怠感、濁った血のような、夕暮れ。

時間が無音の微風の如く。翳りゆく月輪と、吹き溜まる想いの堆積と。

存在感の無いストーリーを描けるか。日常の連続性から乖離した、閃きの点描で。

Show more
mstdn.jp

Mastodon日本鯖です. よろしくお願いいたします。 (Maintained by Sujitech, LLC)