pitta さんはインスタンス mstdn.jp のユーザーです。アカウントさえ持っていればフォローしたり会話したりできます。もしお持ちでないなら こちら からサインアップできます。
pitta ブーストされました

断片的な思考のストリーミング状態、結構気に入ってるんだけれどな。推敲の上で省かれてしまう部分が誰にとっても価値がないとは言い切れない。

mstdnやTwitterでは思いつくままの思考の断片を即座に発信できてしまうが、prematureな考えを発信することに対してはもっと抵抗を覚えたほうがよいのかもしれない

世界を知覚し考えるうえで、身体というハードウェアによる制約はつねに考慮していなければならない。

概念が先か、人間が先かでいうと、やはり人間が先な気がする。

我々は正しさの夢を見ているのかも.

論理的整合性すら脳が見せるある種の錯覚であるかもしれない。

論理的整合性すらただヒトの生物学的基盤に裏打ちされた限定的な思考の体系のなかで妥当とされるにすぎず、絶対的正しさというものに我々の脳では到達できないのだとしたら、どうしよう。

執着を手放すことに執着しているなと気づいた。

誰かに恋慕し関係性に期待するのも、好ましさのレベルであれば、許容していいのかな。

痛い恋愛から何かを学ぶこともできますが、痛みだけでなにも学ばないこともあり得て、そうなると痛みを繰り返すことになります。

別に大学の授業は受けても受けなくてもいいと思うんですが、授業を通して真面目に学問を身につける以上に価値のある行動を見つけて実行するのってそれなりに難易度高いなって思います。

具体的な相手を想定することなしにできあがった結婚への期待や観念っておばけみたいなもので、とても生身の人間に背負わせるべきものではないと思う。

「結婚願望」ってやつの実体のなさ、恐ろしい感じがする。

どうしたら人間関係に期待せず、関係をあるがまま受け入れられるだろう

善悪に興味がないって言葉、すごくしっくりくるな。

まぁ現実には人ってそう簡単に救われないので、罰って制度は社会に必要だとは思いますね。

罪と罰は個人的にはあまり信じてないんですが、社会的には必要な概念であることは理解しています。

いわゆる悪人を、悪人というよりは癒されるべき人と見てしまって、どうしたらこの人はこれ以上他人を傷つけずに済むんだろう、という方向で考えてしまうので、あんまり他人を「許せない」とか「罰したい」という思いが正直ない。

明日バイト先で読む本を選んだ.

すこし話し過ぎた.