岡崎京子を実写映画化で主題歌オザケンって…。渋谷系の亡霊共が。腐臭がするぜ。
90sの渋谷系のスノッブ臭さは都会の情報量と、その格差を原資としてたけど、インターネッツ世代以降は情報量格差がなくなり、ただのイキった奴にしかみえず大変残念。
特にオザケンのギミックは永遠の青春という90s的バブリーな資本主義に立脚しており、老いた今何も輝いて見えない。輝かそうとする囲いも腐海。

"門松は冥土の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし"
via 一休宗純

俺は何を言っているんだ。今年末進行でクソ忙しいんだけど。

言葉を使って買ってきて欲しいものが伝わる、というのは便利だが、それはコミュニケーションの至上目的ではない。
もっとも重要なのはそれによって作り上げられる、沈殿していく、シェアされていく、ともに作る関係性なのだ。
例えばデュシャンの泉が作品には自律的な価値はなく、作品と観察者の関係性に価値があるのと同様に。 mstdn.jp/media/vPW-NaIwVRdsTHH

一件矛盾していることを言っているようにみえたりするが、なんのことはなく、今のアナタに、過去のアナタ、未来のアナタにも同時喋りかける、なんて芸当が人間にはできてしまうのだ。

仕事以外での人と人との交流は、本来言葉だけを使った単純なプロトコルではなく、二重に三重に意味や気持ち、仕草、眼差し、を重ねて送られるものだ。だから例えば相反する意味も同時に送られることもある。

普段メール打ちまくってるから、言葉からどんどん詩性みたいなものがなくなっていって、使っている言葉が数字に近くなってきている。

寂しいことを”胸にぽっかりと穴が空いたようだ”って言うけど、ガッツリ大量のウンコすると”腹にぽっかりと穴が空いたよう”な気になりますよね

職場が別府かってくらいに各所で加湿器がたかれている

世界は読むもの?読まれるもの?ならば幾つもの解釈ができる、つまりはいくつも現実がある。人それぞれ、だけでなく一人の中でも読み方が複数あれば複数の現実が存在することになる。観自在菩薩様〜!!!

apple watch 3のモニターいつでもやります

秋だから、といよくわかんない言い訳をしながら最近めっちゃ飯食ってる

エントロピーを下げるには構造と力(=ファンク)を不断の努力で維持しないといけない。いつかは満潮の中洲のように大河に飲みこれてしまうけれど。

宇宙はつねに散り散りに、バラバラになってしまうようにできているので、私達は常にエネルギーや愛をそそいでホールドタイトしていかなければならない。

従順な無意識。従順な体。大自然を組み伏せようとするのは間違い、的なハナシではない。なにかパラメーターが再考にチューンされた時は意識と無意識が手を取り合い、最高に洗練されてロスがない生命活動ができることを僕はしっているのだ。

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